昨年12月にリリースされたヒックスヴィルの新作『WELCOME BACK』。15年ぶりの新作へのインタヴュー準備にあたり、僕がヒックスヴィルと出会った頃を思いかえしてみると、彼らが毎年のように新作をリリースしていた90年代後半、僕はまだ京都の大学に通っていた学生で、東京から毎週のようにこれでもかと届けられるポップスに無我夢中でした。授業が終わったらレコードマップを片手にCDやアナログ・レコードを探し、新しい音楽に出会っては友達と自慢し合うことができた幸福な時代だったけれど、当時僕が好きだった東京発のバンドが関西でライヴをやってくれることは数えるほどしかなくて、ヒックスヴィルもその中の一組でした。
初めてヒックスヴィルを観たのは98年大阪バナナホールで行われたライヴで、対バンがグレイプバインとスウィンギング・ポプシクル。翌月留学で海外に行くことが決まっていた僕は、留学前最後のライヴを京都から大阪まで観に行きました。京都に住んでいた僕が生で見ることができた数少ない貴重な機会でした。
詳しくは覚えていませんが、ステージに出てきたメンバーがとても大きく見えて、どのバンドも歌がすごくうまくて力強くてビックリしたし、とにかく愉しかった。CDで音だけを楽しんでいた自分がライヴを見てファンになったタイミングでした。
90年代の音楽シーンをひも解くときに必ず挙げられるのが「参照・引用・編集」というキーワード。ムーヴメントになった渋谷系の話は、当サイトの読者であればすでにご存知だと思うので割愛しますが、その大前提にはリスナーとして、参照するアーティストへの「愛」が存在していました。国内外問わず憧れの音楽、大好きなミュージシャンの音をリスペクトしながら自らの音楽にも取り入れる行為について、日々新しい音楽に出会えていた当時は洋楽との同期性やサンプリングという観点で語られたり、いわゆる元ネタ探しのためにディグるという行為を繰り返すことで語り合っていました。それはミュージシャンである前に良きリスナーでもあった彼らが、有名無名問わず、自分の好きなルーツへの「愛」を示す行為であり、それをリスナーもわかった上での共犯関係にあったように思います。(余談ですが2015年の現在ではCDやレコードがサウンドクラウドやYoutubeへ、井戸端会議がSNS上で行われるようになったりと、様式や形態は変化していますが、その根本となる価値観はほとんど変わっていないのは興味深いところです)
『WELCOME
BACK』はとても『グッとくるアルバム』です。ヒックスヴィルの代表曲で、ライヴで長年歌い継がれてきている「バイバイブルース」に匹敵するくらいパンチのある1曲目の「レトロピカーナ」。明るく軽快なナンバーで、間奏のコーラスがとてもかっこよく冴えわたります。しっとりと聞かせてくれる「ビデオテープ」は、DVD・ブルーレイが全盛の現代においてその名前に懐かしさを感じつつ、歌が呼び起こす心象風景に想いが募ります。「巻き戻して 知り合った頃の おかしな二人が夕陽を駆ける 思い出にもならなかった 小さな日々が映るよ」…様々なことを思い出すし、かき鳴らしたギターからはアメリカの西海岸の風景が垣間見えました。そして初となるクリスマスソングでイントロのコーラスが印象的な「今年のクリスマスソング」、でんぱ組.incに楽曲提供した「くちづけキボンヌ」のセルフカヴァー、そして最後の「皆既月食」は今までになかったとてもソウルフルな歌で、ヒックスヴィルの新境地を提示したものになりました。彼らの魅力がカラフルに詰まったアルバムだと言えます。
それと、事前の下調べの中で気になったことがありました。インタヴューでも触れているのですが、メンバーがこれまでに行ってきた膨大な数のサポートです。きちんと数えたわけではないのですが、メンバーはヒックスヴィルとしての活動と同等か、それ以上に数え切れないくらいサポートミュージシャンとしての活動を行っています。これまでの僕の取材経験ではあまり見かけなかったこともあって、これが意味するものが何なのか、そもそも意味するものはあるのかも含めて、僕の中では大きな疑問になりました。
サポートミュージシャンという名前があるように、それを専門にやっている方も数多くいる中で、フロントマンでもあるメンバーがサポート仕事を多数こなすということを…経験が浅い僕にとってはすごく不思議に見えたんです。その疑問について、インタヴューを通じてわかったこと、それはメンバーが20年以上ものあいだ「永く音楽を続けてこれた理由」にほかなりません。バンドマンである以上にミュージシャンであるという単純な、でも知れば知るほど実践し続けるのが難しいことを、自然体としてやり続けているヒックスヴィルとその周りのミュージシャン達。それは役割を果たし続けることができるプロフェッショナルとしての仕事で、本インタヴューでも名前が出てくる方々の多くが今でも音楽を続けている事実を考えれば、このことが今後の音楽業界を生き抜いていくための一つの解になるのではないかと思います。日々音楽活動に明け暮れている方々にとっても参考になるものがあるやもしれません。以前から折に触れて書いていますが、中長期的な視点に基づいてバンドやミュージシャンを見ていきたい僕にとってこのことに気付けたのは新しい発見でもありました。
話を元に戻しますが、『WELCOME BACK』にはメンバーの「愛」が詰まっています。それは彼らがリスペクトするアーティストへの「愛」、日頃接するミュージシャン仲間への「愛」、そしてインタヴューでも真城さんが何度も語ってくれたファンへの「愛」。
今回のインタヴューはアルバムについてはもちろんのこと、最近の音楽活動や真城さんの音楽キャリアを振り返ったお話にまで広がりました。それが読者の皆さんの聞きたかったことなのかどうかはわかりませんが、僕としてはいつものごとくインタヴューを通じてヒックスヴィルのことを好きになってくれる人が、彼らのCDを買ってライヴに足を運んでくれる人が増えたら嬉しいなと思います。
今回大変ありがたいことに取材させていただく機会をいただきました。こうして記事を書いて伝えることが、僕なりのヒックスヴィルへの「愛」のカタチの一つなのかもしれません。『WELCOME BACK』、皆さんぜひ聴いてください。そこにはきっと一人一人が感じるグッとくるものが見つかるはずですから。最後に真城さんはじめご関係の皆様に感謝申し上げます。最後までお読みいただければ幸いです。
インタヴュー・文 黒須 誠/編集部
撮影 木目田隆行
2015年3月21日(土祝)名古屋・Cafe Dufi ※終了しました
OPEN 18:00/START 19:00 前売り¥3500(ドリンク別¥500)/当日 ¥4000 (ドリンク別¥500)
2015年3月22日(日)大阪・digmeout ART&DINER ※終了しました
OPEN 18:30/start 19:00 前売り¥3500(ドリンク別¥500)/当日¥4000(ドリンク別¥500)
2015年3月29日(日)東京・代々木 Zher the ZOO YOYOGI ※終了しました
OPEN 17:30/START 18:00 前売り¥4000(ドリンク別¥500)/当日 ¥4500(ドリンク別¥500)
2015年5月9日(土)静岡・LIVING ROOM
OPEN 18:00/START 19:00 前売り¥3500(ドリンク別)/当日 ¥4000(ドリンク別)
2015年5月10日(日)岡山・ONSAYA
OPEN 19:00/START 20:00 前売り¥3500(ドリンク別)/当日 ¥4000(ドリンク別)
2015年5月11日(月) 福岡・CLUTCH 「WELCOME BACK HICKSVILLE」presented by BEEHIVE DELUXE
OPEN 18:30/START 19:00 前売り¥3500(ドリンク別)/当日¥4000(ドリンク別)
2015年5月16日(土) 福島・AS SOON AS 「WELCOME BACK TOUR+LIVE ALIVE」
LIVE:ヒックスヴィル
DJ:kumico(foretoile、超黄)/sikamadness(indépendant) /不死身のクッシー(exパロパロ)
OPEN 18:30/START 19:00 前売り¥3500(ドリンク別)/当日¥4000(ドリンク別)
2015年5月17日(日) 水戸・MINERVA
OPEN 17:30/START 18:00 前売り¥3500(ドリンク別)/当日¥4000(ドリンク別)
──ヒックスヴィルとしては本当に久しぶり、15年ぶりのアルバムリリースです。
真城めぐみ(Vo) 「フルアルバムとしては99年に出した3rdアルバム『マイレージ』以来なんですよ。ただ井出さんのレーベルGrand Gallery~Japanのコンピ『VELVET SONGS』で、小坂忠さんの[ほうろう]をカヴァーして出していたんですけどね。何故15年も空いたのか…それは曲がなかったというのもあるだろうし、メンバーそれぞれのサポート活動が多かったこともあるし…なんとなく月日が経ってしまったんです(笑)。だから特に明確な理由はないんですよね」
──それでは何故アルバムを作られることに?
真城 「このままライヴだけやり続けていくのも、しんどくなってくるじゃないですか? アルバム作って新曲をえいっと増やさないと、いつまでたってもバンドってどうにもならないというか…この15年間新曲もボチボチと作ってはいたんですけど、アルバムにするつもりで作っていないからイマイチまとまりや盛り上がりに欠けていたという…。アルバムを作るとなるとそれなりのコンセプトや軸になる曲が絶対に必要で、それに向かっていかなくてはいけないんですけど、これまでその軸となるものがなかったんです。なんとなく弱い、ほのぼのした曲ばかりになっちゃって。それはそれでいいのでしょうけどね」
──前作を出した99年は確かソニー在籍時です。メジャー契約によくある毎年1枚アルバムをリリースしなければいけないといった締切りがあったのも大きかったのではないでしょうか?
真城 「そうですね、締切りに向かってスケジュールを管理してくれる人がいたというのもありましたしね。今はメンバー個々で管理していますから、これまたなかなか日程が合わなくて(笑)。メジャーを離れてからはマネージャーもなく3人でやってきまして、気が付いたら15年経っていたんですよ」
──ヒックスヴィルの場合は、メンバーそれぞれが2000年時点で既に相応の音楽キャリアをお持ちだったことが、15年空いたことの遠因かもしれないですね。駆け出しのバンドだと、音楽活動=バンド活動と同義になって一緒に動くのが基本だと思うんです。でも皆さんの場合は、ロッテンハッツ、それ以前から音楽をやられていたので、既に個々人がミュージシャンとしての音楽キャリアを築いた上で組んだバンドだから、音楽活動=個々のミュージシャンとしての活動、が先にあったのではないかと。
真城 「そうです。もちろん事務所に所属しているときや、レコード会社のリリースがあるときはバンド活動がメインでしたが、その割には個々の活動も多かったバンドだと思うんですよ。特殊ですよね、やっぱり」
──その点が他のバンドとの違いだったんですね。
真城 「ありがたいことに、サポート中心に様々なミュージシャンと仕事をすることが多かったんです。ロッテンハッツのころからそうでした。GREAT3のメンバーも個々の活動が多かったし…だから音楽を続けてくることができたというのはありますね、やっぱり。バンドだけでやっていたら共倒れ…と言ったら変ですけど(笑)、そうなっていたかもしれないですから」