インタヴュー撮影 山崎ゆり 文 黒須 誠/編集部
編集後記を書こうと思ったがそもそも特集の本記事で時間も気力も何もかも使い果たしたあとでは、何を書けと言われても頭がぼうっとしていて出てこなかった。時代とのリンクさせたお話とかそういった堅苦しいことをかっこよく書いてみようかとも思いつつ、そういうことは既に他のライターさんがやっているだろうからシンプルに今回の記事についてのいきさつや思い出話をこの機会にさせていただくことにした。
1月にPOPS Parade Festivalを開催し一度全ての気力を使い果たした僕は1ヶ月ほど充電期間に入った。充電期間といってもSHOPコーナーやBOOKコーナーを作ったり次のイベントだったり、サイトの更新だったり取材の準備などに明け暮れてはいたが、自分の中の意識としては7割稼動なイメージで、一区切りついたあとの今後のポプシクリップ。をどうしようかと悩んでいた。
何をするのがミュージシャンへのお役立ちになるのか?というこのテーマについて再度考え直してみた。今はアーティスト自らも発信をする時代で、ほぼ全てのミュージシャンがホームページを開設し情報発信をしている。単純なニュース・リリースを書くことの意味は、媒体を通して多くの人に知ってもらえるという価値はもちろんあるけれども、音楽ニュースサイトはたくさんあり、SNSで拡散されてくるから自分がそこまで追いかけなくてもいいだろうなとは思っていはいた。それでもこのサイトには毎日のように来てくれる人がいるし、大手のサイトでは拾えないようなニッチな情報を提供する意味、役割はそれなりにあるとは思っているので続けてはいるものの最近あえて抑え気味にしていたりもする。
少し前の日記で今年はインタヴューに力を入れるという話をした。ここ数年、僕が取材をさせていただいた数十組のアーティストのことを思い出したときに、今まであまり知らなかったアーティストについてもインタヴューをすることでその人の音楽がより好きになれるという経験を得ていたことが大きく影響している。また昨年からの個人的テーマとして今後アーティストの方々とおつき合いしていくにあたり、彼らへの理解を深めることが最重要であると感じていたこともある。アーティストは普通の人とはいい意味でも悪い意味でも違う側面があり、それが何なのかを僕の立場で理解していくには、インタヴューが最も適切であったのだ。
また単純にWEBサイトのアクセスを見るとニュースよりもインタヴューや特集企画のほうが読まれていることやリスナーの満足度が高いということもあった。またWEBの世界は面白いことに一つの記事・コンテンツでもそれ自体の魅力があればSNSを通じて多くの方に読んでもらえるという特長がある。小さいサイトでも一ついい記事があれば、それは多くの方に読んでいただけるというわけだ。サイトのもともとのベースはもちろん大事だがWEBは「コンテンツ次第」という側面が他の媒体よりも大きいという点を忘れてはならない。
もう一つ、自分が見聞きする範囲の話としてだが、ニュース・リリースは無料でも、インタヴューやレヴューとなると有料であったり、広告出向の見返りでないとやらない・掲載しないという音楽媒体が多いということを大手を中心に聞いたことがある。確かにインタヴューやレヴューというのは非常に工数、特に人件費がかかるものなのでそれは十分に理解できる。ただポプシクリップ。は非営利目的のサイトのため、そもそも広告料をいただく必要があまりないというかその発想がない。相手がインディーズ、メジャーに関わらず同じ考えかたである。今まで無料でいいんですか?と何回も聞かれたし、掲載料をお支払いしたいという話もあったけど、諸般の事情もありお断りさせていただいている。プロボノ型ストリートチームだからできる発想なのかもしれない。もちろんこれが永続性などの観点から見たときに健全とは言わないし、いつまでこのやり方で続けられるのかはわからないけれども、今のところはそれで成り立つようにしているのだからそれを生かさない手はないわけだ。
編集会議でインタヴューを誰にするのがいいのか?というのをスタッフと何気なく考えていたときに思い出したのが昨年12月にグローヴ座で行われた「黒沢健一 ライブ2012 ~ALONE TOGETHER~」だった。確か来年春過ぎにアルバムを出すといった話をされていたような・・・なんて漠然と思い出したのがきっかけである。もともと黒沢さんには以前の事務所のKさんを通じてサイトに参加してもらっていたし、昨年新しい事務所の方にもご挨拶させていただいていたこともあったので、この機会にと思い打診をした・・・それが2月だったと思う。すぐにお返事が来てアルバムはG.W.明けには完成すると思うのでそのときに是非!とのことだった。
インタヴューは5月下旬、恵比寿にある事務所の会議室。
事務所は高層ビルの24階にあって、黒沢さんの新レーベル「24th Floor Records」がオフィスの24階から名付けられているのは、早耳リスナーの間では有名な話だ。
この日はあいにくスタッフの都合が合わなかったので、いつもお世話になっているカメラマンのゆりさんと2人でお伺いをした。ゆりさんにはここ数年本当にお世話になっていて、ポプシクリップ。のインタヴュー写真の大半は彼女によるものだ。専門は料理写真と子供らしいんだけど、彼女が撮る表情はとても柔らかくて暖かいものが多いので、インタヴューという相手の内面を聞く場ではフィットしやすい。ちなみに先日7月19日のイベントで制作した「Popsicle Clip Paper+ vol.2」という音楽冊子の表紙を飾ったSwinging Popsicleの写真も彼女によるものである。
今回のインタヴューは黒沢健一さん。10代の頃に詞や楽曲提供の仕事をはじめてからこの音楽の世界を歩み始めたそうだが、多くのリスナーと同様私も彼を知ったのは'91年にデビューした現在活動休止中のL⇔Rである。そして何を隠そう私が高校生のときに好きだった女の子から「いいバンドがあるよ」と貸してもらったCDがL⇔Rの『Lefty in the Right』だった。1曲目の「Lazy Girl」を聴いた瞬間、体を電撃が駆け巡ったのを今でも覚えている。それほど衝撃的だった。アレンジはもとより歌、コーラス、演奏...どれをとっても当時流れていたほかのJ-POPとは明らかに違う音楽センス、様々な元ネタを探求するのも宝探しのようで楽しかった。それが後に渋谷系の特長であったとは当時は気付いてはいなかったけれどね。とにかく打ち震えた。その後好きだった子にふられたこともあり、当然L⇔Rには苦い想い出がたくさん詰まっているわけだけれども(笑)、不思議と彼女が僕に教えてくれたいくつかのアーティストの中でL⇔Rだけは、その後も普通に聞き続けることができた。好きだった彼女以上にL⇔Rは僕を虜にしていたようだ。
大学入学時に楽しみにしていたことがあった。'97年5月31日に行われた大阪フェスティバルホールでのDoubtツアーだ。初めての一人暮らしで初めてのライヴだった。地元は田舎でライヴなんてそもそもなかったから。だからライヴに行くという行為自体にとてもドキドキした。どんな服装で行っていいかもわからない。とりあえず一人で京都から電車を乗り継ぎ大阪に出て見にいった。座席は中央よりでしかも後方。ステージも遠くて何がなんだかわからなかったけど、自分の大好きな音楽が2時間たっぷり聴けたのはすごく嬉しかったし、会場の熱狂というものの凄さに圧倒された。雑誌やCDのジャケットでしか見たことのない人たち、TVでしか見たことのない人たちが目の前で演奏していることは、夢ではなかったのか?...今からしたら当たり前のようなことで笑っちゃうんだけど当時としてはそんな感覚だった。ステージ上のメンバーはとても同じ世界に住んでいる人達とは思えないほど、かっこよかったし会場では黄色い声援が惜しみなくとんでいた。L⇔Rは僕の中のアイドルだったといったらわかりやすいのかもしれないね(笑)。結局それがL⇔Rでは最初で最後のライヴになってしまったのだが。
あれから16年の月日が経ち、まさか黒沢さんにインタヴューさせていただける日が来るとは予想はしていなかったわけで、人生何があるかわからないとはこのことだ。当時の自分に将来いいことあるよ!と伝えてあげたい、そんな気分である、いやそんな気分じゃない?と言わないとリスナーには怒られるかもしれないが。
憧れの人であるものの、そこは仕事として向き合う以上は他のアーティスト同様淡々と準備をする。普段他のライターさんがどのような準備をするのかはわからないけれども、僕の場合は極めてオーソドックス。事前にリリース情報に目を通して楽曲を試聴し、気になった点を箇条書きに書き出していく。その際も1回目は全体をばくっと掴むイメージで流して聴く。作品と出会う初期衝動ってやつを大事にしているからだ。かっこいい、明るいなとか、暗いなとか...『Banding Together in Dreams』を聴いて最初に出てきたキーワードは確か「ナチュラルに切ない」だった気がする。音楽って創作物だしコンセプトがありきで狙って作ることもよくある話だけれども、今回は意図的にこねくりまわしたようなものなど、初期のL⇔Rにありがちだった何かを狙っているようなものを全く感じなかった。それは前作の『Focus』でも感じたことではあるけれど。
2回目以降は分析モードに入る。聴きながら歌詞を見て何を表現されようとしているだろうか?、楽曲のアレンジを聴き比べて何か新しい取り組み、チャレンジをしているのだろうか?とか色々想像する。過去の作品と聴き比べて音楽やアレンジの傾向に違いはないかとか、制作面に変化がないのかを見ようとする。そしていくつかの違和感、気付きをまとめてインタヴューに望む。他には最近の関連記事などをチェックしたり、クレジットを見て参加しているミュージシャンについての情報を調べたり本人のブログを見たり。今回は偶然にもL⇔R時代のメンバーが全員参加していることがわかったので、当然そのことはポイントとして聞かなければいけないことだったし、同時に各々のメンバーが現在何をしているのかも当然ながらわかる範囲で調べておいた。今回は時間がわりとあったものだから事前準備にいつもより多く時間がとれたのでそれは有難かった。とはいえその日は昼に黒沢健一さん、夜に山田稔明さんと2組の取材が入っていたので、準備も2倍で大変ではあったけれど。
インタヴュー時間は1時間半くらい。事務所の社長もスタッフさんも、そして黒沢さんご本人もとても明るく気さくで、わりとスムーズに話をすることができたと思う。一番緊張していたのは多分僕だったかな(笑)。色々な話をした中で、黒沢さんには大変お気遣いいただき、少しわかりづらいところは何度か説明をしてくれたし、その場が笑いに包まれる光景も幾度となくあったので、とてもいい雰囲気で行うことができた(とは思っている)。
インタヴューで昔の話題に触れるべきか否かは当日その場でもかなり悩んだ。質問項目は用意はしていたものの...何故ならば今の黒沢さんはあくまでソロとしてやっているし、今回は新作のインタヴューであること、L⇔Rは活動中止という今の状況や2年前の20周年のときでさえ何もなかったのを考えれば、触れてはいけないことなのだろうと思っていたから。悩んだ挙句、少し触れさせていただいたのは、今回偶然にもメンバーが全員参加しているという事実があったからで、その流れで伺えれば...という感じであった。伺うと、何かあったわけでもなく今回は本当に自然とみんなが集まってきてくれたことを嬉しそうに話してくださった。20年の時を越えてメンバーが自然と集まってくる、再結成とかそういうことではなくごく自然と...そんな状況を聞いて黒沢さんはすごく今いい状態でいらっしゃるのだろうというのを肌で感じることができたし、7月に行われたツアーはステージも会場も一体となり、大いに盛り上がった。今回は予めホームページでファンのリクエストに応えたセットリストを用意してくれたほか、録音・撮影OKというサービスまで付いてきたので、リスナーにとってはとても満足度の高いライヴだったのではないだろうか?またそれは下記メンバーの写真の表情からも十分に伝わってくるだろう。
インタヴューを終えた直後、何より自分が驚いたのはとても冷静で淡々としていたことだった。もちろん素直に嬉しかったということはある、人生の約半分の期間聴きつづけて来たアーティストなのだから。でもなんかこうもっと高揚するものがあるかと思っていたがそれはどこにもなかった(笑)。他のアーティストへのインタヴューのときも同様なのだけれど、仕事として向き合っているからだろう、読者に読んでいただけるような原稿を書かなければいけない!というプレッシャーのほうが強くて、そんな余裕がどこにもなかった。淡々と冷静に原稿を書き続け確認をし掲載させていただく。10日間くらいのやりとりだったと思う。最後は追い込みで若干無理をしたものの、なんとかギリギリ発売日に掲載することができた。掲載後の反響が思っていたよりもポジティブであったこともあり、そこで始めて実感が湧いてきたというのが実際のところだ。
おかげさまで記事は好評で、大変多くの方に見ていただくことができた。何より一番嬉しかったのは、「これだけの記事が無料で読めていいのか?」「有料でも読む価値がある」「黒沢さんの今の様子がよくわかった」といったコメントをいただけたことだ。書き手として素直に嬉しく感じたし、企画をして良かったなと思った。
ここでレヴューをお願いした牧村憲一さんについて少し触れさせていただきたい。
特集記事を考えるにあたり僕はディスク・レヴューを誰にお願いするべきなのか非常に悩んでいた。著名なライターさんも複数候補にあがったし、自分で書くことも考えた。けれど初期のメンバーが全員参加しているといったことを知ったときに僕が思ったのは、今回の黒沢さんの作品は黒沢さんにとって「記念碑」的なものになるのではないか?ということだった。再結成をするわけでもなく、20年の時を越えてメンバーが自然と集まってくるなんてそうそうあることではないと思ったし、ある意味奇跡だと感じた。その流れに沿いたいと思ったときに自然に出てきたのが牧村さんと岡井さんだった。ただ岡井さんはツアーにドラマーとして参加することが既に発表されていたので、やはりここは牧村さんしかいないと思った。
これも何かの運命としか思えなかった。ここ数年急に自分の中で牧村さんの名前が何回も出てくるようになっていたからだ。2月にインタヴューをしたスカートの澤部さん(インタヴューは電子書籍で販売中)は、牧村さんが講師をしている大学の学生だったこともあり、インタヴューでも大変盛り上がった。僕が好きなジャーナリストの津田さんは牧村さんと本を出されたり、対談などもされていたから名前が出てくる機会が度々あった。そして当の牧村さんご自身も今年に入って「ニッポン・ポップス・クロニクル」という歴史の証言となる本を出版されていて、僕も読んでいたから、何かと気になっていた。何よりも、昨年ご挨拶をしていたのと、ツイッターで相互フォローをしていただいていたのが決め手となって、身分不相応ながら思い切って相談させていただいたのだった。
ニッポン・ポップス・クロニクル/牧村憲一 2013年3月27日発売
1,995円(税込) 320ページ 出版:スペースシャワーネットワーク
「ここに書かれているのは、CD以前、レコードの時代の話が大半で、若い世代にとっては初めて名前を聞くであろうアーティストも多数登場する。 だが、音楽が好きであれば世代を問わずに読みこなせる、ある意味で『日本のポップスの入門書』としての役割を果たすものにしたつもりだ。 (中略) 素晴らしい証言者を得て、本書はたくさんの『音楽の川』を書くことが出来た。それと共に、その1本ずつの川が合流し、大きな河となって流れているのを知ることが出来るはずだ。 日本のポップスがいかに多くの人々の情熱や気概によって支えられ、紡がれてきたか。この本を通じて、その一端でも感じ取っていただければ幸いである。」……牧村憲一(まえがきより抜粋)
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多分牧村さんは驚いたと思う...いきなり黒沢健一さんのディスク・レヴューを書いて欲しいと頼まれるなど...でも最終的には理解を示してくださり、黒沢さんへのおめでとう!という意味を込めて引き受けてくださった。本当に本当に感謝している。
アーティストメッセージについても同様の考えで連絡がとれる方々を中心に直接ご相談をさせていただいた。黒沢秀樹さん、菊池さんなど健一さんと近しい方をはじめ、一つ下の世代のアーティストである嶋田さん(Swinging Popsicle)、常盤さん(risette,you & me together,ぱいなっぷるくらぶ)、山田さん(GOMES THE HITMAN)にもご参加いただいた。普段から当サイトに遊びに来てくださる読者のことを考えたのと少しでもリーチを広げたいという想いがあった。皆さん時間のない中、メッセージを寄せてくださり本当に有難かった。
特集記事制作の過程では、本当に多くの方に助けていただいた。特に事務所の窓口をしていただいたKさんには、色々とご迷惑もおかけした。そんな中でも誠意を持って対応してくださり、今後へのアドバイスもいただいた。最終的にこの形で実現できたことは、本当に嬉しかったし、評判も良いようなのでいい仕事ができたのではないかと思っている。そして私自身も学ぶことが多い仕事となった。サイトをはじめて4年が経過するのだが、開設当初はどうなることかと思ったし苦労の連続ではあるけれども、今回みたいな自分にとって奇跡のような仕事ができると、これからの未来も案外悪くはないのかもしれないなと思ったりする。
最後に。
黒沢さんに現在のボカロブームやアイドル全盛の現在の音楽業界についてどうお感じになられているのかを質問をさせていただいたところ、模範解答かもしれないけれどもと前置きされた上で話されていたのが、今までも色々な流行廃れはあったわけであって、その中で活動してきたことを考えると、聴いてくださる方がいる限り僕は僕らしい音楽をこれからも作っていきたい、というシンプルなコメントをくださった。そこに黒沢健一さんのアーティストとしての揺らぎない気概を強く感じることができたことを付け加えておきたい。
今回の特集記事が一人でも多くの方のお役に立てていれば嬉しく思います。読んでくださった読者の皆様、そして黒沢さんはじめ関係する全ての方々に改めて感謝いたします。ありがとうございました。
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