編集後記もそろそろ、折り返し地点、まだまだ書きたいことがたくさんあります(笑)。
今日はGOMES THE HITMAN、山田稔明さんのお話です。
下北沢系ギターポップ(と単純にくくるのは好きではないのですが)を聴いていく中で97年、98年、99年当時に自然と耳に入ってきたのがGOMES THE
HITMANでした。ポプシ、ルーシー、プレクトラム、ノーナ、ゴメス、ラウンド、ハルコ、リゼットと周辺を聴いていたリスナーは多いのではないでしょうか? ちなみに書いていて思ったのですが、今挙げたバンド一つも解散していなくて、みんなキャリア20年歴です・・・、すごいですよね。
ただ、デビュー当時に彼らのライヴを観る機会はほとんどありませんでした。関西にいたこともあって。東京に戻ってきた2007年以降、山田さんがソロ活動をするようになったときに知り合った友達が山田さんの大ファンだったこともあって、それからですね、ライヴに通うようになったのは。年に数回は、コンスタントに観ています。多いときは5,6回観ているから、僕が一年間にライヴに足を運ぶのが60本前後なので、その1割を占めています、こう書くと多いですね。また山田さんにはPOPS Paradeにも何度かご出演いただいたり、夏には映画「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」の特集でもお世話になりました。
GOMES THE HITMAN が去年再始動、山田さんがやると言ったときは本当にびっくりしました。去年はメジャー・デビューしてから15周年という節目ではありましたけどね・・・何故またやる気になったのか、疑問がずっと拭えませんでした。
2014年の記念すべき再始動ライヴ、僕も観に行ったのですが、本当によかったんですよ。バンドとしてのまとまりが、グルーヴがね。山田さんはソロでもバンドスタイルでもユニットでも、色々なスタイルでライヴをする方ですが、僕にとっては一番しっくりきました。7年もやっていなかったとは思えないバンドサウンドでした。
あれこれ想像もしていましたが、もやもやするばかりで・・・。やっぱり一度お話を伺いたいと思いまして、取材を申し込みました。それはゴメスの再結成は下北沢ギターポップの歴史においては、とても大きな出来事で、それをきちんと記録に残しておく必要があると思ったからです。お忙しいところご対応いただいた山田さんには本当に感謝です。
それと以前から時々書いているのですが、歌詞やメロディなど音楽性に定評ある山田さんですが、実は音楽家としての活動スタイルも注目なんです。ミリオンセラーなどといった大ヒットを持っているわけでもない普通のミュージシャンでも、マジメにコツコツ努力をしていれば、10年20年と音楽だけでやっていけることを自ら証明してくださっているんですよ。
山田さんの活動スタイルって、すごく理想的なんです。この厳しい時代に音楽で食べていくにあたり、若手ミュージシャン、中堅ミュージシャンのお手本になることがたくさんあるんですよね。こまめにメルマガを書いたり、blogを書くのもそうですし、ソロで全国を周りながらファンを作り、バンドとしても定期的に活動する。本を出したり、歌詞のワークショップと少し違う領域でも活動して視野を広げられたり、またヒックスヴィルの中森さんや、高野寛さんらベテランの方々とも一緒に仕事をすることで、新たなファン層や音楽家としての活動範囲を拡張し続けている・・・。
これを全部こなせているミュージシャンは、若手だとスカートの澤部君くらいではないでしょうか? ベテランのシンガーソングライターでは高野さんや曽我部さん、石田ショーキチさん、HARCOさんといらっしゃいますが、それでもそんなに多くはないと思うんです。
今回の記事ではキャリアふりかえり、再結成の理由、そして山田さんの活動スタイルについてお話を伺っていますので、ファンの方はもちろんなんですけれど、ミュージシャンの方にも読んでいただきたいインタヴューです。当初は2ページのつもりが、スタッフとも相談をして3ページに。今回の雑誌制作において、当初の予定よりページ数が増えたのって、Swinging Popsicleの特集と山田さんとブルー・ペパーズだけ。それだけ内容が濃かったということで(^^;
インディー・ポップZINEのポプシクリップ。マガジン第6号は、Amazonと下北沢モナレコードで販売していただいています。
よかったら手に取ってみてください。
ポプシクリップ。より。