本インタヴューは2014年夏に開催したPOPS Parade Festival 2014へご出演いただいたときに、取材・販売した記事の再掲載となります。(現在も下北沢モナレコード等で本記事が掲載されている冊子「Popsicle Clip. Paper+ vol.5」は販売中です)
明日、2016年9月4日にadvantage Lucyが6年ぶりとなるワンマンライヴを下北沢CLUB Queで開催します。リスナー・ファンの一人としてこのことは大変嬉しいこと。そこで私なりにルーシーを応援できることはないかと考えまして、以前の記事の再掲載をご相談し今回掲載させていただくことになりました。
2年前の記事ではありますが、ルーシーを知る上では今でも十分に役立つ内容になっていると思います。6年ぶりとなるワンマンライヴ、私ももちろん伺います。明日が最高の一日になりますように。なお本記事は期間限定掲載となります。予めご了承ください。
ポプシクリップ。編集部 黒須 誠
「久々だよワンマン2016 東京」
日程:2016年9月4日(日) open 17時30分/start 18時30分
会場:下北沢CLUB Que
出演:advantage Lucy
料金:前売り 3,000円/当日 3,500円
予約:
オフィシャルブログ(7/26~)
ライブポケット(7/26~)
e+(7/30~)
ローソンチケット(7/30~)
チケットぴあ(8/4~)
来年で結成20年目を迎えるadvantage Lucy。彼らが未だに日本のネオアコ、ギターポップのポップ・アイコンとして機能しているのは、デビュー時から変わらない音楽性とヴォーカル、アイコの類まれない歌声がファンを魅了しているからに他ならない。”ルーシーのようなバンドをやりたい!”とフォロワーであることを公言するバンドをあちこちで見かけることを考えると、彼らが果たしてきた役割は決して小さいものではないだろう。
また、00年代半ばに韓国で沸き起こった渋谷系・ギターポップブームでは、数多くの日本のバンドが韓国でライヴを行い、現地レーベルからCDリリースも行った。その先陣を切ったのがルーシーであったことを考えると、本人たちの意向はともかく、周囲からは日本を代表するネオアコバンドの一つとして認知されたことはごく自然なことであった。マイペースに活動している彼らからすると”すべては結果でたまたまそうなった”ということなのだけどね。
この度POPS Parade Festival 出演記念に、メンバーのお二人にデビューからの振り返りインタヴューを行ったけれども、結論からすると彼らがアイコンの一つになった明示的なこれといった理由は見つからなかった。ただ一つ思うのは彼らの音楽に対するスタンス、”自分たちの好きな音楽をマイペースに長きに渡って突き詰めてきたこと”、にその解を求めてもいいのではないかということだ。
昨年インタヴューしたBMXバンディッツのダグラス(ルーシーとも親交のあるグラスゴーを代表するミュージシャンで、30年近く音楽を続けている)も、彼らが長く続けてこれたのは「(金銭や名誉ではなく)僕達は未だに音楽が大好きで、音楽に熱心だから作り続けている」というシンプルな理由であって、マイペースでもコンスタントに作品を発表していれば自然と結果がついてくる、ということだった。そんな自然な姿で音楽に向き合っている二人の振り返りインタヴュー、懐かしい話もあるだろうが大切なことは二人がこれからも音楽と共に歩んでいくというシンプルな姿勢である。
取材・文 黒須 誠
●今回はイベントにご出演いただきありがとうございます。早速ですがadvantage Lucy(以下ルーシー)は結成当初、どのような音楽を目指してスタートされたのでしょうか?
石坂義晴 (G・Cho) 「福村君が出したロッキング・オンのメン募には”素朴で~胸キュン!UK/USギターポップ〜”みたいに書いてありましたけどね(笑)。はじめて福村君に会ったとき、Happydeadmenを聴かせてくれて、『あえて言うならこういう感じ?』とか言ってたな。(Happydeadmenは爽やか系のギターバンド) 当時、カーディガンズの『Carnival』が日本でもヒットして、アイコ(Vo)と福村君(G)のリアルタイム若者チーム。かたや80'sのUK・USインディー(スミスやコクトー・ツインズなど)育ちの石坂(G)・番場(Dr)のおっさんチームだったので、そこにはかなりのギャップが。。。楽しかったですけどね」
アイコ(Vo・G) 「年月だけベテランになってしまったような感じで、本人達はまったく変わっていないような…。95年の秋にロッキンオンジャパンに掲載されていたメンバー募集に応募しました。当時はブリットポップが流行っていて、福村くんが載せた”カーディガンズが好きです”みたいな募集は当時まだ少なくて私には光って見えました! わたしは当時学生で学校の帰りに友達と西新宿ビニールレコードにせっせと通ってのUSインディーズやスウェーディッシュポップのCDやアナログを買ったり、CLOVER RECORDSのカセットを買ったりしていて、漠然とこんな音楽がやれたらいいなぁと思っていました」
●小さいころはどんなお子さんだったのですか?
石坂 「母親曰く、幼児のころは異常な執念でブロックばかりしてたので自閉症を疑ったとか。中学3年の春にギターをはじめ、夏に初作曲、秋にはその曲がクラスの曲になり合唱コンクールで披露し賞をもらいました。勘違いの始まりです」
アイコ 「自分では元気いっぱいなイメージなんですが、周りからみたらぼーっとした子だったと思います。鍵っ子で空想好きで人見知り・・・全然元気じゃないですね(笑)。保育園のときに有名な俳句や短歌をみんなで大きな声で読むという時間があったのですが、三好達治の<<蟻が蝶の羽をひいて行く ああヨットのようだ>>というのがとても好きで、ずーっと印象に残ってます。小学校や中学のときも詩を書くのが好きでした。思い返してみればあの三好達治の詩の世界観がずーっと私の詩を書くときの根底にあるかも。小学校のころはエレクトーンを習っていました。最初の先生は『つぎはこの曲を弾きますよ~』と言って最初に弾いて聞かせてくれたのでそれを覚えていて習うので譜面を読まなくて良かったのですが、途中で先生が変わって最初から譜面を見て弾きなさい、という方針の先生で私が譜面の飲み込みが悪く、間違えると手を叩く先生がコワくてやめてしまいました(苦笑)」
●そんな経緯を踏まえて(笑)、石坂さん、アイコさんがミュージシャンを目指されたきっかけとは何だったのでしょうか?
石坂 「僕の場合は、ミュージシャンを目指した覚えはないんだけどね(笑)。でもギターは好きで、高校のときに軽音(当時はフォークソング部)でレベッカとか、BOØWYのコピーバンドをやってました。オリジナルの曲は作ってなかった。学園祭のときって自分たちで音響設備とか設営したりするでしょ。そっちのほうが断然楽しくてね(笑)。で、コンサートのPAマンや大道具の方に進みたくて専門学校へ行ったら、同級生に後のヴィーナスペーター石田君(G)がいた。その石田君に御茶ノ水にある貸しレコード屋のジャニスを教えてもらってね。そこでUS/UKインディーの世界にどっぷりハマって。当時、石田君がやってたPENNY ARCADEが大好きで、毎回ライヴに通ったりしてね。そこからですね、ネオアコになっちゃったのは。ドラムでお世話になってる外村さんがPENNY ARCADEでドラムを叩いてたり、後のブリッジの池水さん(現3BI、このころはバチェラーズ)ともこのころ知り合いました。っていうか、こっちが勝手に好きなだけでしたけど。このころ、ロリポップ・ソニックとの対バンが多かったけど、僕は、PENNY ARCADEとバチェラーズが好きでしたね。バンドやりたいなあって思ったのはこのころからです。石田君との出会いがすべてです」
アイコ 「一回で良いからバンドをやってみたいなぁと漠然と思っていて、気付いたら18歳。来年は就活しなきゃいけないし、就職したら音楽出来ないんじゃないかと今思えばそんなことないのに、当時は勝手にそう思っていて、今しかない!と雑誌のメンバー募集を探すようになりました。最初から歌を志望していた訳ではなくて、カラオケで他愛も無く歌うのは好きでしたが、自分の声がほかの人に比べて芯が無いのが気になっていて。みんなガツンと声がしっかり聞こえるのに自分だけなんか実態がないな~というか…、少しだけコンプレックスでした。だから、バンドに入ってギターでも教えてもらいたいなーと簡単に思っていました。高校生のときに友達のマンションの有線で「渋谷系」というチャンネルがあってカヒミカリィが流れて、なんてカワイイ声の人なんだ!と大好きになったのと同時に、こんな歌い方もあるんだなぁ、と勇気をもらいました」
●ルーシーをスタートさせるにあたって、参考にしていたバンドや作品などはありましたか?
石坂 「特に参考にしたわけではないけど、IVY、Rocketship、stereolabのアルバムはよく好きで聴いてました。もちろん、カーディガンズやCloudberry Jamも」
アイコ 「参考、というのは無いのですが大好きで聴いていたのはカーディガンズ、IVY、go sailor、the softiesなどなど」
●97年に『in Harmony』をリリース後、翌98年にシングル「シトラス e.p.」で東芝EMIよりメジャーデビューされます。デビューに至るまでの経緯をくわしく教えてくれませんか?
石坂 「『in Harmony』発売の後、何社かのレコードメーカーの制作マンがライヴを見に来てくれるようになって、何社かのレコードメーカーと面接して、ん~、もう昔のことで忘れました(笑)。個人的には、会社を辞めなきゃならなかったので、お給料の面で心配でしたが、見事に的中しました(笑)。あと、バンド名がまずかったので、ツアー先の名古屋のホテルでみんなで集まって、今のバンド名を決めたり。「シトラス」の入稿ギリギリで、業界向けのサンプルのバンド名はまだLucy Van Peltだったしなあ」
アイコ 「Lucy Van Peltとして最初にCLOVER RECORDSからカセットテープを出して、そのあとGOD'S POP RECORDから『in Harmony』と『advantage Lucy』を出しました。それが96年から98年の最初のころのこと。ルーシーをスタートしてからあれよあれよと♪走り出したら止まらないぜといった感じで、あっという間に走り抜けた楽しくて仕方のない濃密な時間でした。当時はバンドブームでメジャー合戦も盛んでルーシーもその中のひとつでした。advantage Lucyとバンド名を変えて東芝からリリースした最初のシングル『シトラスe.p』の[シトラス]は、当時『advantage Lucy』をレコーディングするために山中湖の合宿所でリハーサルをしていたのですが、そのときに石坂さんからシトラスのメロディーが生まれた瞬間をすごく覚えています。『めちゃ良い!!』 ってみんなで盛り上がって『つぎに出すのはこの曲だね!』ってはっきり思いました。その前までのルーシーはちょうポップでかわいらしいというイメージだったと思うのですが、シトラスのような少しだけ落ち着いた感じはルーシー内でもちょっとした革命でした。あとは、EMIでの最初の挨拶回りのときにバンド名を変更するかしないかのちょうど瀬戸際で、シトラスの営業用のグッズはLucy Van Pelt で作っていて、挨拶する方、する方に『すいません、バンド名が変わりまして・・・』とたくさん言った記憶があります(笑)」
●デビューが決まったときのこと、もし覚えていましたら当時の気持ちを。
アイコ 「なんかすごいことになったなぁ! と思いました」
石坂 「どうせやるなら全国の人に届けたいよなあって気持ちはあったかな。ライヴでいろんな所に行けるし、ワクワクしてました。でも、音楽のオシが弱いバンドなので(笑)、ほんとに売れるのかは疑問だったけど、思いっきりやってみようと」
●メジャー時代で学んだこと、思い出などがありましたら。
石坂 「スタジオワークでは、各プロデューサーの録音の進め方、判断基準にそれぞれの個性があって、どれもナルホドなあと唸るものが多くて、影響されていると思います。特に、[風にあずけて]のころ、アイコの歌詞が上がってこないときに、プロデューサーの中村キタローさんから、夜11時ころに電話が来て、『車でお前の家に行くから、一緒にアイコのところへ行こう!』といって、アイコと俺とキタローさんで、アイコの家の近くのファミレスでご飯したのは思い出だなあ。そのとき、何を話したかはもう覚えてないけど、中村さんのやさしさと行動力にはいまでも感謝してます。あと、高野寛さんと[めまい]のシングルは、ほんとに楽しかったな。優しいお兄さんのフリして、同じ目線で一緒に音楽を作ってる気にさせておいて、出来上がってみると見事な高野式ポップワールド♡だもんね(笑)。お見事です」
アイコ 「たくさんありすぎてなんだろうな...特に思い出深いのは中村キタローさんと高野寛さんのプロデュースでした。師となる人には色んなタイプの人がいる訳で、ミックスを聴くときにその前までの私たちは『目をつぶっても音は見えない、目を開けて聴きなさい』と教わり、シャキーンと姿勢を正して聴いてました。キタローさんと出会ったときも若干緊張していたのですが、キタローさんはスタジオに『おはよー』って来たらテーブルの上にあるキャンディーのカゴをジャラジャラーと全部ひっくり返して何が良いかな~って選んでる(笑)。ミックスを聴くときもソファーに横になって、涅槃のポーズで目を閉じて聴いてる(笑)。今までとまったく違って目からウロコでした。そんなキタローさんですが、どんどん来る曲や歌詞の締め切りに間に合わず向こうの見えないトンネルの中に入ってしまったようなときも、しっかりと寄り添って私たちの目線から一緒に悩んで導いてくれる、とっても大きな方でした。根詰めたときはいつもキタローさんを思い出します。高野寛さんはほんとうにあのままの方で。いつもキラキラしてる。高野さんもわたしたちに寄り添ってくれるタイプのプロデュースの方法だったのですが、最後には高野さんサウンドのマジックが! ほんとうに感動でした。[めまい]の歌詞を書くときに、高野さんから詩を書くときのアドバイスをいただいて、時間や場所、季節感を大切に書きました」
●お二人がデビューされた90年代後半はPLECTRUM、HARCO、Swinging Popsicle、GOMES THE HITMAN、NONA REEVES、キリンジ、中村一義さんなど、今でも活動しているバンドが次々とデビューした時期で、界隈の音楽シーンも大変盛り上がっていました。今もなお交流が続いているバンドも多いお二人ですが、当時からみんなでシーンを盛り上げようといった気運やお考えはあったのでしょうか?
石坂 「正直、メーカーにいるころは自分のバンドが走るだけで精一杯で、みんなでシーンを盛り上げよう! っていうのは特になかったけど、それぞれのバンドのいい曲を聴いて、”おれもいい曲作りたい!”っていう刺激は常にありました。そういう音楽的なやりとりが結果的にシーンの盛り上がりに繋がればいいよねって感じで。Swinging Popsicleのライヴをルーシーみんなで初めて見た後の、アイコと福村君の、俺への”あんなふうになりたい!攻撃”は今でも忘れられません(笑)。その後、ポップなものも作ってみようかなあって気になって。真正面からポップなものを作るのがちょっと怖かったというか…。今思えば俺にとってターニングポイントだったな。で、インディーに戻ってしばらくしてから、GAPC(※)で一緒にツアーしたりね。PLECTRUMのタイちゃんは、ルーシーでギターをやってもらって、もう14年くらいになるのかな?俺もHARCOバンドでギターやらせてもらってたし。なんだかんだ繋がってますね」
アイコ 「一緒に盛り上げよう!みたいなことはまったく思ったことありません(笑)。でもみんな良い声、良いメロディー、良いバンドでみんな進化し続けてる。すごくリスペクトしてます。シーンありき、というよりも光っているそれぞれが自然な形で結びついているのではないでしょうか」
※GAPC(ギャーペーセー)とは、GOMES THE HITMAN、advantage Lucy、PLECTRUM、cellophane …という同世代にデビューしたバンドの選抜メンバーによるユニット。
●メジャーでの活動に一区切りつけたあと、01年にご自身のレーベル「solaris records」を設立されました。当時はまだ個人レーベルを持って活動するというのは珍しい時期でしたが、(何故移籍などをしないで)ご自身のレーベルを設立されたのでしょうか?
石坂 「DIYな気持ちは有りました。あと、単純に自分たちの好きなように音楽もライヴもやりたいと。かなり内向きな発想です(笑)。権利の世界は、お金を 出した人が偉いので、いっぱい意見を言われて、とにかくやんなっちゃって。純粋な音楽的な面と、セールス的なところと、両方正しくて、訳分からなくなっ て、曲を作るのがかなり遅いので、結局、メーカーを辞めちゃったと。当時は、まだCD全体の売り上げ枚数的に今ほど少なくなかったので、インディーズに 行っても少数精鋭なら暮らしていけるんじゃないかと。でも、甘かった(笑)。自己管理して続けられるような人間じゃないことをすっかり忘れてまして (笑)」
●その後もコンスタントに作品を発表しながら、00年代半ばには韓国遠征で注目を集めましたがきっかけは何だったのですか?
石坂 「きっかけは韓国からのネットのアクセスの増加です。韓国では確か2000年くらいからネットが爆発的に普及し始めて、ハングルのサイトで俺達のバンドが紹介されてるぞと。これは嬉しかった! 俺らのバンドだけじゃなく、くるり、空気公団、フィッシュマンズ、キリンジなども人気があることがわかって。じゃあ、ライヴに行こうと。CDも流通できたらいいねと。韓国はすぐ近くの国なので飛行機ですぐだし、知らないことが待ってるワクワク感はすごかったですね。今は、インドネシアからのアクセスが多く て2006年くらいから段々と。で、ライヴに行こうと調整してたんですが、バリのテロでダメになっちゃった。なんせ2億5千万人の国ですからね。いつか行ってみたいです」
アイコ 「かなり記憶が曖昧なのですが、最初にLinus' Blanket のミンソンに出会ったのかな? それから韓国のBEAT BALL RECORDSを紹介してもらってsolaris recordsからリリースした『Echo Park』の韓国版をリリースしてもらうことになりました」
●韓国遠征時の思い出やエピソードがあれば教えてください。
石坂 「お客さんがみんなピュアでかわいくて、ライヴでは一緒に歌ってくれたりフレンドリーで感動しました。あと、全州(チョンジュ)での映画祭でライヴに 行ったときに石焼ビビンバがどうしても食べたくて、あつあつの。ツアー中、韓国のレーベルの人にずっと言ってて、『hot stone bowl,Please!』って。(こんな言葉があるかは不明)。やっとの思いでお店に辿り着き注文。しばらく待つとお盆に何やら透明な器をのせて店員さんがこちらにやってくる。『はい、どうぞ~』って出てきたのが、氷の器の冷えっ冷えっの冷麺。みんなでアッチチーと言いながら食べました」
アイコ 「タイちゃんのヨンジンかわいい〜かわいい〜♡がすごくて・・・違うか(笑)。ジョンジュのフィルム・フェスティバルに向かう車の中で石坂さんが石焼ビビンバが食べたくて、二日間くらい向こうのレーベルのユソンさんに「ホットストーンボール、ホットストーンボール、(皿を触るジェスチャーをして)あ ちち!」とかしつこく言っていて、じゃぁその店に行こう!って言って最初に出て来たのが、氷で出来たボールの冷麺・・・。おなかがよじれるくらい笑いました。台湾にツアーに行ったときも最終日にタクシーに楽器をどっさり載せたまま忘れて降りちゃって真っ青になったり、はちゃめちゃです。ツアーに出ると毎回 ミラクルの連続で、ずーっと笑ってる気がします」
●結成して来年で20年になるわけですが、音楽をやり始めたころと比べてソングライティング、楽曲制作に変化はありますか?
石坂 「曲を作り始めたころから、基本、曲が降ってくる待ちなのでペースが遅い(笑)。これはずっと変わらず(笑)。作曲パターンも、降ってきた鼻歌にコードをつけるか、ギターで遊んでるときに良いリフが見つかって、それにメロをつけたり。これもずっと変わらず。あと、一番だけ出来たものをバンドに持っていくのはまだましな方で、リフだけ、Aメロだけでもアイコさんに聴かせて反応が良ければ一緒に続きを考えたり。んでそのとき、アイコさんが『続き、思い浮かんじゃった(ニコッ)』とかなると、ちょっと待てよと。ズルいぞと。まあ、こうなればいい曲が出来てくる。バンド頼みなリーダーです(笑)」
アイコ 「歌詞の面では、よりシンプルなものが好きになってきました。シンプルだけどグサーッとくるもの、パワーを感じる言葉。石坂さんが作るメロディーは譜割りも含めてそのままが完成されて一番美しいと感じるので、なるべく崩さないように言葉を何度も選び直してしっくり来るまで作ります。言葉はシンプルだけど聴く人によって色んな風に感じたり、色んな側面や視点から見えるように工夫したり。メロディー自身がもつ母音のイメージと言葉がぴったりはまったときのパワーもすごいので、とても大切にしています」
●またルーシーとしてこだわり続けていることや取り決めていることなどはあるのでしょうか?
石坂 「決まりごとはとくにないかな」
アイコ 「こだわりというか、とにかく良いな!と思ったものを形にしてます。一昨年リリースしたV.A.『胸キュンアルペジオ』のルーシーの曲も最初は別の曲で進んでいて、明るい曲だったのですがどうもしっくりこないね、というのを抱えたまま時間が無かったのと、私が妊娠初期でつわりがひどかったのでこのまま行くしか無い!って感じで進んでいたのですが、締め切り1ヶ月を切ったころ、その曲に色々重ねている途中に石坂さんが[STARS]のリフを思いついて、絶対こっちの方が良いからこっちで作ろう!!とお願いして超特急で作りました。結果[STARS]はすっごく好きな曲になりました」
●アイコさんの声は独特で、ほかにはない透明感と憂いや影も併せ持っているのが魅力ですが、「声」や「歌い方」についてはいかがですか?
アイコ 「なぜだかこの声しか出ないんですよね、、わたしも『はーっっ!!!』とか言って芯のある声を出してみたいんですけど・・・。心がけていることは、音の世界の中に自分の声がちゃんと溶けているかということを一番大切にしています」
●先ほども述べたようにルーシーは日本を代表するネオアコ、ギターポップスバンドで、いい意味で日本のネオアコのポップ・アイコンになっているのですが、お二人にとって、そのように捉えられていることについてはどう思われますか?
アイコ 「ネオアコがやりたい!とかギターポップがやりたい!と思ってやってる訳では無いので、そう言われるとなんだか気恥ずかしい感じがします。単純にギターで曲が浮かんで作ったらこうなったよ、っていうのがずっと続いてる感じです。まわりからみたらそう見えるのかもしれないけど、実際の本人達は至ってシンプルなもんです」
石坂 「本人達的には、アルバムを作る前はネオアコどうこうは考えてなくて、『よし、変わるぞ~』で始まるんだけど、結果としてあんまり変わってない(笑)。それは自覚ある(笑)。そのことでルーシーはこういうバンドだよねってなってるのでそれはそれでいい。あと、海外から見たときに、本人たちが思ってる以上に日本的なんじゃないかと想像してみたり。意識できないところで滲み出てたらいいなあと」
●ここ十数年の音楽シーンを見ると、くるりに代表される日本語ロック、アジアン・カンフー・ジェネレーションなどのロキノン系の台頭は目覚ましいですし、テクノポップやヒップホップが脚光を浴びた時期もあります。ここ数年はEDM(Electronic Dance Music)、いわゆる踊れる音楽、身体的に同期できる音楽が多くのリスナーの支持を得ています。そんな中、大きな変化もせずブレずに続けられたのは何故なのでしょうか? ”飽き”がきたり、アイデアが枯渇するようなことはなかったのでしょうか?
石坂 「飽きもあるし、枯渇もあります。だからこそ新曲を作るときは新しい風景を見たくてやってるけど、結果変わってない(笑)。その意味でコーネリアスの変化にはほんと憧れる。一枚一枚のアルバムでガラッと変わって、それぞれが最高にカッコいい。日本の音楽業界全体としては、子供のころからのいちリスナーの感想としては99%は変わってないと思う。呆れるほどにず~っと同じ。特にヒットチャートは。時代のフレーバーがちょっと違うだけ。ロックもエレクトリック系もメンツが変わるだけ。ただ、1%の変人が大きな川の流れをちょっとだけ変える。それはすごいことなんですよね。俺には出来ないけど。あと、ウチのバンドの[so]系のダークな曲たちは、わりと初期からやってる、というかそこがバンドのスタートで、スミス、コクトー・ツインズ、ドアーズ、テレビジョン、ルー・リード、大貫妙子が俺的なルーツで、ポップな曲は、アイコと福村君に刺激されて勇気を出して作り始めたので、そっちが後からですね」
アイコ 「ブレずに続けてるっていうのは語弊があるかな。最初からそうやりたい訳じゃなくて、振り返ったらそんな風に見えたということであって。音源になってないだけでエレクトリックな感じのとか全然違う服を着たルーシーも実は結構いるんですよ。それを着ておうちから出てないですが(笑)。眠っているデモを聴いてみるとこんなタイプの曲もあったのか!とビックリします。私は意外とやっちゃえ!派なのですが、最終的に石坂さんの方が保守的なときもあるのが面白いなぁと思います」
石坂 「アルバムを作る前は、よし、俺は変わるんだ!って気持ちで始まるんだけど、出来るものがいつものアレで(笑)。もうどうにもならない寝癖のようなもんです」
●これまで音楽活動の中で、良かったこと、嬉しかったことがあれば教えてください。
アイコ 「音楽を通してたくさんの経験が出来たこと。自分たちの曲を聴いてくれる人がいることですね」
石坂 「やっぱり、いろんな人に会えたことですね。刺激をもらって、支えてもらって今があるというか。感謝してます。それと、自分たちが作った音楽を誰かが気に入ってくれるなんて、もうそれだけで最高です」
●音楽活動を続けていくことを迷われたときはありますか?
石坂 「音楽を辞めようと思ったことはないですね」
●ここ数年はCDが売れないといった経済的にネガティヴな話をたくさん耳にしますが、ルーシーのお二人はマイペースに、とてもナチュラルに音楽と向き合っているように見えます。
石坂 「お金がないからといってCDを作ろうと思っても、曲が出来ないことにはね(笑)」
アイコ 「私たちのような牛の散歩くらいのペースになってくると、考え方もシンプルになりますよね。良い曲ができたから”じゃあ出そっか!”みたいな」
●何度かメンバーの脱退もありましたし、決して順風満帆なミュージシャン・ライフではなかったと思いますが、長く音楽を続けられているのは?
アイコ 「自分たちが良いな! と思うような曲が出来たときの喜びは何にも代え難いものがありますし、ありがたいことに聴いてくれる人達がいてくれるからです」
石坂 「単純に音楽が好きだってことかな。下手の横好きです」
●今の時代、ポジティヴな音楽活動をしていくためにやるべきことは何だと思いますか?
石坂 「あんまり難しく考えずに、まずは自分たちがいいと思える曲を楽しんで作って、そこを軸にすれば、素敵な体験がきっと待ってると思います」
アイコ 「自由に解き放って、たくさん吸収して、一生懸命磨いて、これは自分にしかできないな、というものが一個見つかったら最高だと思います」
●ここ数年iTunesやAmazonMP3、高音質なハイレゾ音源などのフォーマットの変化や、スポティファイに代表される定額制サービス、アナログの再ブームでHMV渋谷がレコードショップとして復活するなど、音楽を届ける手段が多様化しています。今後どのように向き合っていかれるおつもりでしょうか?
石坂 「音楽のフォーマット、売り方は時代とともに変わっていくので、最大限いろんな趣向の人に届けたいよなあと思ってます。うちにもKORGの1bitで録音再生出来る機材があるけど、確かに音はすごい。ギターと歌にマイク立てて、卓を通して直接2MIXにすると、体験したことないような立体感を感じるし、気持ちよくってずっとリピートしちゃうくらい。可能ならリスナーにも聴いてもらいたいけど、中学生・高校生に届けるには敷居が高い。でも、ほんとにいい音楽は、パソコンのモノスピーカーでもいい音楽だとわかるしね」
●お二人は11年に入籍したことをブログでファンに報告され、今は公私ともにパートナーとして人生を歩まれていますが、音楽面での変化はありますか?また今後どのような音楽活動をお考えでしょうか?
石坂 「結婚してから話しているのは、子育て中でも、お家で作れる音楽ってあるよねと。バンドのサウンドと違って新鮮だし楽しそうだよねって話はしてます。どうなることやら」
アイコ 「子育てに手一杯で、音楽面での変化はこれからやってくるのかな。ただ、ルーシーで使っているリコーダーやメロディオンでトーマスやアンパンマン、ピタゴラやトトロなどの曲を練習するようになったのは小さな変化でしょうか(笑)。今までもかなりスローペースだったのがさらに動いてんのか?!ってくらいのペースにはなってしまい、待っていてくれる方々にはほんとうに申し訳ないのですが、でも今経験している宝物のような日々が、これからの音や詩の世界をきっと豊かにしてくれると思いますのでとても楽しみです」
●この度の再始動、リスナーとしても嬉しく思います。新作も予定されていますか?
アイコ 「再始動ってほどのおおげさなものじゃなくて、できそうかな? ってお試し期間な所も正直あります。先日の青森でのライヴは小さな怪獣を連れてほんとうにドキドキだったのですが、結果とっても楽しく、息子にも良い経験になりました。(新作も)レコーディングする時間が見つかったらやりたいですね~」
●今回2年振りの東京でのライヴとなりますが、どんなステージを予定されていますか?
石坂 「ポップなものにしようかなと」
●最後になりますがファンの皆さんにメッセージをお願いします。
石坂 「いつもマイペースですみません。リリースの暁には、絶対的にいいものを届けますのでよろしくお願いします」
アイコ 「久々の東京ライヴになります。ぜひぜひ遊びに来てください!!」
●ありがとうございました。
「久々だよワンマン2016 東京」
日程:2016年9月4日(日) open 17時30分/start 18時30分
会場:下北沢CLUB Que
出演:advantage Lucy
料金:前売り 3,000円/当日 3,500円
予約:
オフィシャルブログ(7/26~)
ライブポケット(7/26~)
e+(7/30~)
ローソンチケット(7/30~)
チケットぴあ(8/4~)