“ブリッジ22年ぶりに再結成”、このニュースに日本中のネオアコファンが狂喜乱舞した2017年2月25日は忘れられない一日となった。下北沢CLUB Queのステージにブリッジがサプライズで登場すると会場はざわめきファンは夢中になった。ただ、歓喜をあげてステージに詰めかけるというよりも、淡々と流れてくる懐かしい音楽を何事もなかったかのように楽しんでいたのが現場で感じた素直な感想である。
ふと周りを見渡してみよう。90年代から活動しているミュージシャンの話題が未だにあちこちでふりまかれている近年の音楽業界だが、誰かが意図的に何かを仕掛けたというわけではなく、人生というライフサイクルの中で当たり前のように巡ってきたものだと筆者は認識している。仕掛け人もいないし後押しするような強いメディアもないから大きなムーヴメントにはなっていないけれど、“サイレント・ムーヴメント”としてじわじわとファンの間では盛り上がっている。音楽への嗜好が細分化された現代では、世の中の流行りよりもマイブーム、自分の好きな音楽をどれだけ楽しめるのかが大事になってきているから、今回の発表もたまたまネオアコリスナーに刺さっただけなのだろうが、驚くべきはファンが20年以上も待っていたということだろう。90年代初頭は「音楽がカッコイイ時代だった」と多くのミュージシャンやリスナーが口を揃えて話しているのを聞くと、察するに当時影響を受けたリスナーは他の世代よりも音楽に対する想いや反応が人一倍強いに違いない。
また当時のリスナーも今では役職のあるポジションに就いている人も多いはずだ。そうなると彼らが影響を受けた90年代の音楽、もしくはそのカルチャーを発信しやすい立場にもなってくるわけで、それらが同時に動きだしているのが昨今のリバイバル現象につながってきているように見てとれる。筆者の知人には90年代当時の渋谷系ムーヴメントの影響を受けたリスナーで、現在は音楽プロデューサーとして活躍している人がいる。彼がプロデュースしたり作曲を依頼する相手は当時彼が影響を受けた音楽ジャンルのアーティストだったりするわけだ。あくまで一例だが、90年代渋谷系ムーヴメントはメディアからも多数発信されたサブカルチャーであったから、感度の高かったチルドレンが大人になり責任あるポジションについた今、関連情報を発信したくなるのはごく自然だろう。
ブームが終わって20年以上経った今でもネオアコやギターポップ、渋谷系に関する書籍が発刊されたり、TVで特集番組が組まれている。それは未だに好きな人が一定層いることの表れでもある。いくらアーティストが作品をリリースしても取り上げる人、メディアがいなければ伝わらないからだ。ブリッジ再結成の4日前には小沢健二が19年ぶりのシングル「流動体について/神秘的」をリリース、音楽メディアはもちろんのことそれ以外の情報番組など多数のメディアに小沢は登場し、これまでの沈黙がまるで嘘だったかのようにその名をお茶の間まで拡げた。ミュージックステーションの生放送でフジロックフェスティバルへの出演をサプライズ発表して話題をさらったのも記憶に新しい。そして小沢と並び90年代渋谷系ムーヴメントの中心にいた小山田圭吾、今はMETAFIVEの一員としても活躍、昨年はコーネリアス名義でアメリカツアーを成功させたほか、今年5月に新作を7インチでリリース、さらにフジロックフェスティバルへ、しかも小沢健二と同日に出演するという話まで飛び出した。全ては偶然なのだろうが先にあげた背景も考えると、彼らの活動を応援している人達があちこちにいるに違いない。
少しふりかえるとピチカート・ファイヴの野宮真貴が35周年、オリジナル・ラブが25周年、カジヒデキもソロ20周年とシーンを代表するミュージシャンが、近年続々とアニバーサリーを迎えて新作を相次いで発表している。そこに90年代当時のような音楽シーンを動かすほどのうねりやざわめきはなく、サイレント・ムーヴメントの域を出ていないが、先にあげた日本のネオアコシーンの立役者であった2人が揃って表舞台に再登場した2017年、それに呼応するかのごとく発表されたブリッジの再結成は間違いなくシーンを活性化することになるだろうし、離れていたリスナーが戻ってくるきっかけにもなるだろう。今回のブリッジの期間限定の再結成がどんな意味をもたらすのかはまだわからないが、後々これは日本のネオアコ、ギターポップシーンにおいて必然だったと、そう言える日が近い将来やってくる気がしてならない。今回カジさん、清水さん、池水さんの3人にバンドを代表してお話を伺ったのは、ここで彼らの想いを記録しておくことがメンバーやリスナーにとって後々必要になると思ったからだ。そして時代が巡り再評価される日が来たあかつきには、本インタヴューも必要な資料の一つになるだろう。
※ブリッジ(BRIDGE)は大友眞美(Vo) 、池水真由美(Key)、清水弘貴(G,Vo)、大橋伸行(G)、カジヒデキ(B)、黒澤宏子(Dr)による6人組みのバンド。89年に結成、東京のネオアコースティックシーンを中心に活躍、後に「渋谷系」と呼ばれたムーヴメントを駆け抜けた。4枚のシングルと2枚のフルアルバム、2枚のベストアルバム等を残し95年に解散した。
インタヴュー・テキスト 黒須 誠
ライヴ撮影 塙薫子/黒須 誠
企画・構成 編集部
〉Interview P1-P3
──はじめにブリッジ再結成の経緯から教えてください。
カジヒデキ(B) 「昨年の夏にコーネリアスの公開ゲネプロがあって観に行ったんです。会場はまさに同窓会という雰囲気で昔からの友達がたくさん来ていたんですけど、そこで小山田君とペニーアーケードの佐鳥さんから、ペニーアーケードが再結成ライヴを企画していて対バンでフィリップスとデボネアが出ることを知ったんです。またその時点で小山田君がペニーのゲストで出ることも決まっていたので、これだけのメンツが出るんだったら、そこにブリッジがいないのは変じゃないかと思ったんですよ」
池水真由美(Key) 「このイベントだったらブリッジが出る意味もあるんじゃないかってことだよね」
カジ 「そうだね、このイベントには何らかの形で絶対に関わりたいと思ったし、小山田君が“カジ君も何かやろうよ”と言ってくれたこともあって。とはいえ、そもそもブリッジの再結成の話なんて全くなかったから、まずは僕からブリッジのメンバー一人一人に恐る恐る連絡をとることにしたんです(笑)。そうしたらみんながいいよと言ってくれてね」
──当日会場にいたのは?
カジ 「ブリッジは僕とドラムの黒澤さんの二人ですね。平日夕方だったこともあって」
──それまで再結成の話はなかったんですか?
池水 「そう、なかったですねー。そもそもヒロちゃん(黒澤さん)以外の5人は解散後も現役で各々バンドをやり続けているから、特にきっかけもなかったし。あ、2年前私のバンドのライヴでヒロちゃんにドラムのサポートを頼んだり、最近フィリップスでも叩いたので全員ミュージシャン現役!」
カジ 「ペニーアーケードは去年『A Girl From Penny Arcade』の再リリースというきっかけがあったからまだわかるんだけど、ブリッジはこれまで機会もなかったし、メンバー内でも再結成しよう的な盛り上がりもなかったかな(笑)」
池水 「今回もリリースがあるわけじゃないからね」
カジ 「そう、リリースはないけど、ペニーアーケードの再結成と2月のイベントの濃さがスゴかったから、突き動かされたね!(笑)」
池水 「6人全員揃うのが夢みたいな感じなんですよ。プライベートでもこの22年全員が一度にそろったことはなかったから」
清水弘貴(G) 「正直に言えば絶対にブリッジの再結成はないだろうと思っていたんですよ。今だから言えるけど昔カジ君と大喧嘩したことがあったからね(笑)。だから去年カジ君から電話をもらったときは〝懲りないやつだなあ(笑)“と思いながらもカジ君が誘ってくるって事は本気なんだろうなと。なのでカジ君がやろうって言うなら俺もやるかと」
──カジさんからの電話で清水さんも心が動いたんですね。
清水 「電話では大喧嘩の話も少し出て”清水君は清水君だから“という話があって、まぁ俺も”カジ君はカジ君のままで”って思ってるし。なんだかすごく有難かった。で、再結成して動いた結果ヴォーカルの眞美ちゃんも喜んでくれたから、それが何よりもよかったな」
カジ 「清水君にはいつ電話しようか、タイミングは結構悩んだんだよね。清水君もすごく忙しい人だから気持ちが向いてくれるのか不安だったし、断られるのは嫌じゃない? でも1回目の電話の最後にやると言ってくれて本当に嬉しかった(実は電話の後に泣きました=後日談)」
池水 「清水君はオノヨーコさんを手伝ったりもしていたし、テレビで見たこともあって。なんか遠い存在の人になっていたからね。あとは22年…これだけ時間が経った今だから、というのはあるよね」