ともすれば無粋になりかねない、創作の背景を詳らかにすることは憚られるべきことなのかもしれない。 それは承知の上で。
音楽のリズムにおけるスウィングとシャッフルは、その歴史や文化的背景を鑑みれば同列に比較するのは適切ではないという考えを持つが、あえてその音符の並びだけの説明に使うことがあっても良いと思う。
「泳ぐ魚」という曲の作曲とプロデュースを担った。 お渡しした曲のデモンストレーションの段階では、常盤さんには具体的な説明をしなかった。 常盤さんのボーカルのアトリビュートが楽曲とどのように交わるか、また旋律や詞をどのように解釈していただくか、そういった部分を興がる気持ちがあったのかもしれない。
しかし一点。全編通してスウィングのこの曲で、不意にシャッフルしてほしい音符の個所があった。 ボーカルのレコーディングでスタジオに入った際もそれは伝えずに。 驚きの楽曲理解で、たった4テイクという早さでレコーディングは終わる。
そして、なんの指示もしていないその音符の個所が、完全にシャッフルしていた。
『nyu:』は、そういうアルバムなのかもしれない。 「トリイマエマチ・ストライプス」という曲の編曲と演奏を務めた。 畏友であるpaveuくんの青写真から音像を具現化することは、意思の疎通も含めて自家薬籠中の物。 作品のリリース後、何処かのレコード店による惹句に「胸キュン・ヤング・ソウル歌謡」と評されていて、それはあながち間違っていない、と話したのを覚えている。