──wafflesは活動開始から比較的早い展開で正式な音源のリリースに至っています。そこにはきっと様々な戸惑いもあったと思うんですが。
大野 確かに私達は割とすぐにいいお話を頂けて。経験が少ないままに大きなスタジオでレコーディングするようになったので、そこは戸惑いましたね。ヘタクソすぎて、クリックにも合わせられないし(笑)。
武田 結局クリックなしで録音していたもんね(笑)。
大野 でも、その頃から私達はモノを作って残すことに、より強い気持ちを注いでいました。それがやりたくてこのバンドを始めたっていうところもある。だから、ライヴに対する意識はその後からゆっくりと芽生えていったような感じで。お客さんを目の前にしているうちに、少しずついろんなことを考えるようになっていった。でも、最初の頃はただ「詩を書きたいの!」みたいな、少し内向的な感じが私は強かったんです(笑)。大それた意識もなく、ただ自分の思いや日常を形にして楽しんでいた、といいますか。で、実際にそれを世に出してみたら、受け取ってくれたお客さんから、逆にいろんなことを考えさせられたんです。
──最初は個人的な世界観に浸っていたんだけど、リスナーと接触することによって徐々にアーティストとしての意識が芽生えていったと。
大野 聴いてくれた方からの反応が頂けるようになってくると、やっぱりそれが曲作りにも反映されるようになっていって。徐々に、誰かに聴いて喜んでもらえることが、大きなモチベーションやエネルギーにもなっていきました。でも、一番最初はただただ、私個人の一方的なエネルギーだけだった。今になって振り返ると、それはそれで若さゆえの面白さがあったと思うんですけどね。
武田 その当時ならではの若いパワーは確かにあったね。
大野 今は、自分らしさは表現方法に込めたいなと思っていて、必ずしも私に似た人物が歌の主人公じゃなくてもいいな、と。例えば、知り合いと深く話し込んで、その方の気持ちを私なりの方法で表現してみたくなることもあります。勿論、そこには私の人間性や考え方が反映されてくるんですが、そんな感じで、最近は色んなタイプの主人公が増えてきたように思います。そうした客観性と自分の世界観とがうまくバランスをとれるようになってきたのは、本当に最近のことで。それまではいろいろと考えすぎて悩んだ時期もありました。
武田 葛藤していたよね。
大野 その葛藤も結局は単純なことで、出したCDは枚数をちゃんと売らなきゃいけない、とかそういう話です。初めは、好きな音楽を好きなように作っていただけだったので、それを広く大衆に届けなさいと言われたときに、自分らしさと、人に伝えるためのわかりやすさを両立させる方法が分からなくて、混乱してしまって。最近になってようやく、そのあたりの肩の力が抜けてきたように思います。今も常に、その良いポイントを探してはいるのですが(笑)。
──同じバンドを10年も続けていれば、キャリアにもいろんな起伏がありますよね。きっとバンドを続けるのがしんどかった局面もあったと思うんですが。
大野 それはやっぱり自主で活動を始めたときかな。
武田 何作かレーベルからCDを出させてもらったあとに、自分達が本当に進みたい方向性を考えてみて、一度レーベルから離れてみようとみんなで決めたんです。僕らにはいわゆるバンドっぽい下積みがないまますぐにそういう状況になったから、改めていろんな仕組みを確かめてみて、自分達だけでどこまでやれるのかを試してみたかった。とはいっても、当然ながら自分達だけでレコーディングして、それを形にするような技術がその当時の僕らにはなかったし、ましてやそれを販売するネットワークなんて持っていなかった。それでもなんとか周囲の協力をもらいながら、自費で作って、ライヴ会場で売り始めたのが、『orangery』っていうミニ・アルバムで。でも、あの当時って一度レーベルに所属していたアーティストが自主制作で活動を始めたりすると、すごく都落ち感があったんですよね。
──あの頃は特にそうでしょうね。
武田 今はメジャーもインディーもすごくフラットな環境になってきていますけどね。だから、ファンの人に都落ちっぽく感じさせてしまうのはなんか申し訳なかったし、自分達もまったくそこに抵抗がなかったかといえばウソになる。そこで自主に踏み切る決断をするまでの流れは、やっぱりバンドとしてものすごく葛藤した時期でした。
大野 その頃に木村さんが一度バンドを卒業したのも大きかったよね。それまでは4人でやっていれば自然と曲ができたのに、ドラムが抜けた途端、「曲づくりってこんなに難しいっけ?」っていう感じだった。そこから宅録とかもやり始めて、いろいろと試行錯誤していた時期でもありました。