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ヒックスヴィル 真城めぐみ 『WELCOME BACK』 Release Interview

カフェライヴのおかげでファンの人たちにまた会えるようになったんですよ

──ヒックスヴィルの活動を拝見していますと最近はカフェライヴが多いようですが?

 

真城 「ここ数年バンドがカフェ仕様になっていたんです。それまでの“ライヴハウスで演奏する”ところから少し違った道を歩いてきたというか…でもこれが私たちにとって非常に大きかったんですよ。カフェでライヴができるおかげで、それまで行けなかった土地に自力で行けるようになったんです。決して多くのファンがいるわけではないんですけれど、各地方に少しずつはいて、カフェライヴのおかげでファンの人たちにまた会えるようになったんですよね」

 

──西千葉のcafe STANDや鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ、静岡のLIVING ROOMなど全国各地を巡られています。

 

真城 「カフェライヴは意外に古くて鎌倉のディモンシュが最初だったんです。もう十数年前のことですが。定期的にでライヴをやるようになったのは数年前からです」

 

──ここ数年全国各地のカフェをまわられるミュージシャンが増えています

 

真城 「一年中まわっている人もいますよね。“あれ、また行ってきたの?”といった会話を(ミュージシャン仲間と)することも増えていますし」

 

──ゴメス・ザ・ヒットマンの山田稔明さんやサニーデイ・サービスの曽我部恵一さんもよく巡られていますよね。

 

真城 「他にはノーザン・ブライトの新井君もそうだし、フライング・キッズの浜崎さんもそうですよね。みんなカフェを巡ったときに、他のミュージシャンがまわっているカフェをチェックするんです(笑)」

 

──カフェライヴと聞くと、シンガーソングライターの方がアコギ片手に一人でまわっているイメージがありました。先にあげた方々以外にも田島貴男さん、黒沢秀樹さん、石田ショーキチさんといったベテランの方々も、カフェでソロ弾き語りライヴをされていますが、ヒックスヴィルのようにバンドでカフェ・ツアーを行われるのは少ない気がします。

 

真城 「多分三人が限度でしょうね。車に楽器やら機材つめこんで一台でツアーをするとなると。ただこれだけ多くのアーティストがカフェライヴをやるようになったためか、ありがたいことに、会場側も機材を準備してくれるようになってきたんです。機材を常設してくれるお店も増えてきていますしね。それでライヴができる場所が更に増えて…それに地方だと“カフェなのにこんなに大きな音でやっていいの?”と思うくらい大きな音で、街中でやっても大丈夫なところも多いんですよ。そしてカフェライヴをやるようになってから、昔聴いてくれていたファンの方と再会してお話を直接するようになったんです。“アルバムを出して欲しい”という声もたくさんいただいたんですね。これは出さなければいけないよね、と。ファンの方々の声に押されたというのが、アルバムを出すことになった一番の理由かもしれません」

ヒックスヴィル 真城めぐみ
ヒックスヴィル 真城めぐみ

はじめてサポート仕事をしたのはオリジナル・ラブ

──デビューして20年以上活動されているということで、この機会に少し振り返りのお話をさせていただければ…初めてサポートの仕事をされたのはいつごろなのでしょうか?


真城 「確かアマチュアのときで、オリジナル・ラブが最初ですね。それまでも仲間内のバンドのサポートでコーラス参加というのはあったけれど、仕事として、つまり請求書を書きました(笑)というのはオリジナル・ラブだったと思います。80年代だったかな? 田島君とはアマチュア時代からよく対バンしていたんですけれど、彼がデビューしたので、それに引っ張られるような形で、私をはじめ界隈の色んなバンドもデビューしたんですね。私はロッテンハッツでデビューしたんですけど、モダンチョキチョキズもやっていたし、当時はレコーディングもライヴも自由にやらせてもらっていましたね」


──デビュー当初から様々な活動をされていますが、楽器も弾かれるのでしょうか?


真城 「いや、私はコーラス、歌だけしかできないんですよ。場合によっては少しパーカッションをやるくらいですね」


──詞についてはいかがでしょうか?


真城 「私は歌詞を書けないんですよ(笑)。何かの企画で一曲だけ書いてみるといったお話もありますけど、詞を書くというのはそういうことではないだろうと思うので、今まで一切書いたことがないんですね。センスがないので」


──歌に特化されたいお気持ちが強いんですね。


真城 「そうですね。でも今回の『WELCOME BACK』の歌はすごく苦労したんです。過去に出した三枚のアルバムは、ヒックスヴィルの活動に集中していた時期なんですね。それと違って今回は、メンバーそれぞれが、色々な活動をしながら作ったので、自分の中で少し混乱したというか、難航しました。15年経って声も変わっているし、過去の声のように、少しキンキンさせた声で歌おうというつもりもなかったんですけど、思った以上にプレッシャーが大きくて納得できる歌にするまで時間がかかりました」


──それはサポートの仕事とヒックスヴィルとの気持ちの切り替えが大変だったということでしょうか? それとも技術的な何かですか?


真城 「前者ですね。メインヴォーカルとコーラスは全くの別物であって、この歌に対してどういう世界を自分なりに表現しようかと悩んでしまったんです。精神的なプレッシャーですね…もちろんやり遂げましたけれども、泣きたくなるくらいスムーズにいかなかったんですよ」


──もしかして…人前に出ることは苦手でいらっしゃいますか?


真城 「大苦手ですよ(笑)。苦手なのにバンドやっているから不思議なんですけど。決して出しゃばりなはずじゃないと思うんですけどね…子供のころから人前は苦手でした」


──それでは何故バンドを?


真城 「小さいころから音楽を聴くのは好きだったんです。小学校四年生の時くらいからベイ・シティ・ローラーズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴いていましたね。高校生までは音楽は私にとってファッションで、音楽が変われば着ている服のファッションも変わる、ファッションが変われば音楽も変わる、といった感じの聴き方をしていたんです。ちゃんと音楽を聴きこむようになったのは高校生のときからですね」


──僕は97年に初めてヒックスヴィルを聴いたとき、ビーチ・ボーイズを代表とするサーフ・ロックの印象を強く受けました。


真城 「メンバー全員がそこに対する憧れを強く持っていますね。ただヒックスヴィルになったときにはドメスティックに、つまり歌謡寄りになったんです。それが[バイバイブルース]です。ロッテンハッツのころは完全に洋楽寄りでしたから」

            

 

 

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