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石田ショーキチ デビュー20周年記念インタヴュー

石田ショーキチさんがスパイラル・ライフ(Spiral Life)のメンバーとしてポリスターからデビューしたのは遡ること20年前の1993年9月1日。そこで石田さんは、昨年9月からの1年間を「アニヴァーサリー・イヤー」と位置づけ様々な活動を行ってきた。

 

それはスパイラル・ライフのファースト・アルバム『FURTHER ALONG -20th anniversary mix-』のリ・ミックスに始まり、2005年に解散していたスクーデリア・エレクトロ(SCUDELIA ELECTRO)の再起動及びライヴアルバム『20th century boys strike back』のリリース、新たにウルフルズのサンコンJr.さんを迎えて9年ぶりに復活したモーターワークス(MOTORWORKS)のワンマンライヴと、石田さんのこれまでの20年間の音楽活動を凝縮した上で、新たに再構築、リ・スタートしたものだと言えるだろう。

 

そんな怒涛の一年の、20周年記念活動の最後を締めくくるのが、本日6月28日に東京・下北沢からスタートする全国ツアー『FFMR Summer TOUR 2014』である。そこで編集部では、石田さんに20周年記念インタヴュー並びに今回のツアーへの抱負を語っていただいた。デビュー当時のエピソードから最近の音楽を取り巻く環境についての見方など、長年第一線の現場で活躍している石田さんだからこそのお話は、とても迫力があり考えさせられるものであった。リスナー・ファンはもちろんのこと、音楽活動を続けている全てのミュージシャンに読んでいただけたら幸いである。

 

なお本企画が実現できたのは関係者のご尽力の賜物であり、石田さん並びにご協力いただいた皆様にはこの場を借りて厚く御礼を申し上げます。また本特集は複数回に渡る連載企画となっています。次回は7月中旬の掲載を予定していますのでお楽しみに!

 

企画・構成 黒須 誠/編集部

撮影 木目田隆行

石田ショーキチ FFMR Summer TOUR 2014

・6月28日(土) 東京/下北沢風知空知

・7月11日(金) 京都/SOLE CAFE

・7月12日(土) 岡山/Desperado Bar side

・7月18日(金) 盛岡/GLOBE

・7月19日(土) 秋田/山王ろっくす

・7月20日(日) 仙台/Take

・8月02日(土) 梅田/ムジカジャポニカ

・8月03日(日) 近江八幡/酒游舘

・8月09日(土) 名古屋/夜空に星のあるように

・8月10日(日) 静岡/Living Room

・8月30日(土) 札幌/ムジカホールカフェ

・8月31日(土) 帯広/Live and Pub Chabo

・9月03日(土) 根室/どりあん

・9月06日(土) 東京/新代田FEVER

石田ショーキチ20周年記念作品

FURHER ALONG

スパイラル・ライフ

FURTHER ALONG-20th anniversary mix-

2013年9月4日リリース

Amazon商品ページ

20th century boys strike back [Live]

スクーデリア・エレクトロ

20th century boys strike back [Live]

2014年3月5日リリース

Amazon商品ページ


プロとして音楽をやり続けることがどれだけ難しいことかなど、まったく想像もできていませんでした。

──デビュー20周年おめでとうございます。石田さんはスパイラル・ライフでデビューしてから20年以上音楽活動をされていますが、まずは今のお気持ちをお聞かせください。

 

石田ショーキチ 「本当に、ファンの皆様あって、なんとかここまでやって来れました。ありがとうございます」

 

──振り返って石田さんがミュージシャンを目指したきっかけを教えてくださいませんか?

 

石田 「8歳のときに、ビートルズの「She Loves You」を聴いて衝撃を受けました。それ以来、自分の中に音楽が流れるようになりましたし、その音楽を外に出したい、つまり、音楽を作りたいと思うようになりました。頭の中に鳴っているから、自分でそれを弾いて表現するしかないわけです。ビートルズとの出会いについては「30 years before」という曲でも書いています。38歳のときに書いた曲なのですが、ビートルズに出逢い音楽が頭に流れ出してから30年という意味合いで作りました」

 

──デビューのきっかけは後にレーベルプロデューサーとなる牧村憲一さんの部下である篠原さんを通じて、牧村さん、藤井さんの両名に石田さんのデモ音源が目にとまったからだと聞いていますが、そもそもそのキューピッド役を果たした篠原さんとはどこで出会われたのですか? またそのときの周囲を唸らせたデモは何だったのですか?

 

石田 「氏は元々静岡の人気アマチュアバンド/モンローのドラマーで、僕のいたバンドは彼のバンドの舎弟のようによくひっついていたのですが、モンロー解散後に彼は我々地元アマチュアバンドの中の見込みのありそうなバンドを束ねて、事務所的なことを始めました。僕のバンドがヤマハのコンテストに出て東海大会に進出した時、たまたまポリスターレコードの制作の竹田さんという方が見に来ており、僕に興味をもってくれてコンタクトをとろうとしてくれました。その時に篠原氏が窓口となって間にはいり、気付けば彼はポリスターにアルバイトで入って上京しまして、そんなくだりから僕とポリスターの縁がはじまった、というわけです。当時の僕のデモでは 「Another day, another night」が特に評判がよかったように記憶しています。因みにモンローでヴォーカルをやっていた人は村松ショータローさんという人で、後に僕は彼とニューインディアンデスロックというバンドを始めます」

 

──デビューが決まった時のこと、もし覚えていましたら当時の気持ちを教えていただけないですか?

 

石田 「プロとして自分の音楽を出していきたいとずっと願っていましたし、ようやく音楽家として世に出られるという、ほっとした気持ちでしたね。ただ、実際にレコードができるまではばたばただったので感慨にふける余裕もなく、レコードが出来上がったときの気持ちの方が感慨深かったように思います。自分のレコードが完成したときは涙が出てくるくらい嬉しかったですが、その後はその後で大変でしたし、当時は今思うと、念願のレコードデビューができて浮き足立っていたかもしれません。プロとして音楽をやり続けることがどれだけ難しいことかなど、まったく想像もできていませんでしたから」

 

──デビューして20年になるわけですが、音楽をやり始めた頃と比べて、ソングライティング・楽曲制作に変化はありますか?

 

石田 「時代、時代によって、曲を作るモチベーションが変化していった気がします。特に、子供を授かってからですが、それまでは自分の抱える孤独感と世の中との折り合いをつけるために音楽を作っていたのが、子供が生まれると、そうではなくなるわけです。自分の子供は、黙っていても自分にくっついてきますから孤独もへったくれもない(笑)。もうそれで、一気に満たされてしまってですね、以前のようなモチベーションでは曲を作れなくなりました。それ以降は、例えば同年代に向けて歌を作ったり、家族に向けてだったり、愛するサッカークラブに向けてであったり、曲作りへのスタンスがだいぶ変わったように思います」

 

──これまで複数のバンドのフロントマンとして活躍されてきましたが、振り返ってみてバンドマンとしてやっていてよかった出来事があれば教えてください。

 

石田 「バンドというのもこれはこれで大変なのですが、やはり音楽活動をやる上では昔からベースになっているものですし、バンド友達とやっているMOTORWORKSもそうですが、新旧の友人と音を重ねられる喜びは感じます」

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