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humming parlour 食べすすんでいくと、少ししょっぱい

都内を拠点に活動している humming parlour から、新作『食べすすんでいくと、少ししょっぱい。』が届いた。なんでも8年の音楽キャリアにおいて初のスタジオアルバムであるという。そういえば2年前に彼らが配信限定でリリースした1stアルバム『answer in the halfway,』は確かライヴアルバムだったよなあ、なんて当時のインタヴューを思い出しながらその音を聴いてみると、そこにはかつてないエヴァー・グリーンの世界が広がっていた。疾走感溢れるキラキラしたギターにヴォーカルkawaie.の甘く切ない、でもどこか中庸的な歌声がとても心地よい・・・こんな気持ちになれたのは何年ぶりだろうか、と1曲目のイントロを聴いた瞬間から舞い上がってしまった自分に驚きを隠せなかった本作品は、ネオアコ・ギターポップのお手本とも言えるような典型的な楽曲はもちろんのこと、彼女の声を前面に生かしたオリジナリティ溢れるアルバムに仕上がっている。

 

80年代にイギリスで起こったポスト・パンク、ネオアコ・ブームは、日本でも90年代前半にフリッパーズ・ギターをはじめとした渋谷系サウンドの中でも紹介されたことを機に多くのリスナーを獲得、以降90年代後半に登場したアドヴァンテージ・ルーシーやソロ活動をはじめたカジヒデキ、そして00年代前半に渋谷系チルドレンとしてもてはやされたテトラプルトラップやスパゲッティ・バビューン!など、日本の音楽シーンの片隅で脈々と受け継がれてきた。それが10年代の今もなお続いていることをこの作品は証明してくれたのだ。

 

とはいえ本作品を手にしたとき、このアルバムのカテゴライズがどこにハマるのかが全くわからないと感じるリスナーも多いだろう。ジャケットのデザイン然り、タイトル然り。そこで編集部ではタイトルにもある「少ししょっぱい。」部分について紐解くインタヴューを行った。ヴォーカルのkawaie.さんのお話からわかったことは「自分自身の在りかたへのこだわり」だったように思う。アーティストとして新たな一歩を踏み出した彼女らを応援するとともに、インタヴューを通じて一人でも多くのリスナーにhumming parlourを知ってもらえたらこんなに嬉しいことはない。

 

 

取材・文 黒須 誠/編集部

写真/山崎ゆり

協力/下北沢mona records

 

ブルー・バッジレーベル、ヒグマさんとの出会いがハミパラ結成の原点。

──デヴュー・アルバム完成おめでとうございます。今日は新作のお話を中心にお伺いしますが、まだhumming parlour(愛称:ハミパラ)を知らないリスナーも多いと思います。そこで結成秘話なども交えながらお話したいですね。いつ頃から活動をはじめたのですか?

 

kawaie. 「2005年ですね。だから8年目にして初のアルバムです。“何してたん?”って感じですよね(笑)」

  

──期待の大型新人ですよね(笑)。


kawaie. 「(苦笑)。まるで蝉のようにじっくり土の中で育った感じです」

 

──活動のきっかけは?

 

kawaie. 「もともとヒグマさんが主宰するbluebadge label (ブルーバッジ・レーベル)からコンピレーション・アルバム『guitar pop crazy!』のお話をいただいたのがきっかけです。それまではギターポップやパワーポップ寄りのオリジナル・バンドを別にやっていたんですけど、そのコンピに参加したくてギターの伊東さんに曲を書いてもらい結成したのがhumming parlourだったんです」

 

──先に出すことが決まっていて結成するというのは、インディーズ・シーンとしては割と珍しい展開ですね。ヒグマさんとは以前からお知り合いだったのですか?

 

kawaie. 「そうでもなくて、私が18歳のときにやっていたバンドのライヴをヒグマさんが見に来てくれていたんですよ。当時今とは全く別のインディー・ギター・ポップのバンドをやっていたんだけど、それを覚えてくれていたようなんです。そして数年経って2005年に行われたブルーバッジのイベントに私が遊びに行ったときに、ヒグマさんの方から声をかけてくれたんですよ。確か受付で再会したと思います。私もブルーバッジ・レーベルのことは知っていたのでびっくりして」

 

 ──余程印象に残っていたのですね(笑)。


kawaie. 「ねー、怖いですね。あの時のライヴを見られていたなんて、今から思うと恥ずかしい(笑)」

 

advantage Lucy を知って、“あ、これだ!”って思ったんです。

──音楽はいつ頃から?

 

kawaie. 「小学校からクラシック・ピアノを習っていました。私、ピアノを弾きながら歌いたかったんです。当時KANが流行っていて“ああいう風になりたい!”って思って。でもしばらくしてあまり向いていないことに気づいたんですね(笑)。それで高校に入ってからバンドを組んでJUDY AND MARYのコピーなどをやっていたんですけど、高3のときにadvantage Lucyを知って、“あ、これだ!”って思ったんです。私は踊れないし、“のってるか~い”なんて挑発とかもできないし(笑)。“こんな力の抜けた感じでいいんだ”ってことを初めて知ったんですよ。それからはインディ・ギター・ポップをたくさん聴くようになりました」

──大学時代にギターポップのオリジナルバンドを組むのは大変だったのではないですか?このジャンルは知名度もあまりなかったと思いますが。

 

kawaie. 「そうですね(笑)。ただ私の場合はいわゆる学校のサークルとかではなくて、社会人や他の学校の人とバンドを組んでいたんです。その時はスピッツを好きな人が曲を書いていたし、ラルクが好きなメンバーもいたし割と自由で。ギターポップは私が無理矢理メンバーに聞かせて広めていきましたね(笑)。でも一時期メンバーがなかなか決まらない時期もあったんです。With9(ネット上にあるメンバー募集掲示板)で募集をしたんですけど、メン募に書いていた参考アーティストのadvantage Lucyを別のロックバンドのLucyと勘違いしている人も多くて(笑)、100人近く会ったけどその中でインディー・ギター・ポップを知っている人はほとんどいなかったので大変でした(笑)」

 

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